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小學의 受用과 訓讀에 관한 韓日比較硏究小学の受容と訓読に関する日韓比較研究

Other Titles
小学の受容と訓読に関する日韓比較研究
Authors
오미영
Issue Date
Mar-2010
Publisher
한국외국어대학교 일본연구소
Keywords
小学; 朱子学; 小学諺解; 小学句読; 漢文訓読
Citation
일본연구, no.43, pp.309 - 329
Journal Title
일본연구
Number
43
Start Page
309
End Page
329
URI
http://scholarworks.bwise.kr/ssu/handle/2018.sw.ssu/14871
DOI
10.15733/jast.2010..43.309
ISSN
1225-6277
Abstract
小学の受容様相は、日本と韓国との間で大きく異なる。韓国の場合、朝鮮時代王室の主導で三回にかけて諺解書を刊行し、全国民を対象に小学教育を実施した。これに対して江戸時代には小学学習の記録は確認されるが、朝鮮のような全面的なものではなかった。これは両国における朱子学の位相と相通じるものである。当時朱子学は中国や朝鮮においては政治体制と表裏をなす正統思想であったが、日本社会では広がりつつあったものの外来思想にすぎなかったと見られる。制度や社会文化の面で中国と類似していた朝鮮とは違って、江戸時代は身分制度を含め小学の提示する具体的な内容には適しないところが少なくなかったのである。また朝鮮時代の朱子学は支配階級である官僚によって営まれた。彼等は政治家であると同時に学者であった。しかし江戸の儒学者は浪人や医師、禅僧であった人で武士とは身分的に格差があった。このような朱子学者の位相の相違も両国における朱子学の位置に影響したと考えられる。小学の注釈書も両国において相違を示す。朝鮮の場合、何士信の『小學集成』を使用し、その後程愈の『小學集說』が広く読まれだが、17世紀末以後は李珥の『小學集註』が中心となる。これにより諺解も『飜譯小學』(1518(中宗13)年)は『小學集成』に、『小學諺解』(1587(宣祖20)年)は『小學集說』に、『御製小學諺解』(1744(英祖20)年)は『小學集註』に基づいて作成された。日本の場合、江戸初期には朱子の本注本を用いていたが、中期以後には陳選の『小學句讀』が用いられたと考えられる。小学の訓読について見ると、朝鮮の場合基になった注釈書が異なっていたとはいえ、時間の経過による言語の相違は見られるが、『小學諺解』と『御製小學諺解』の内容は大差ない。これに対して江戸時代の『句讀』と『國子解』の訓読は相当相違を示している。これは朝鮮時代の経書の諺解が国家主導のものであり、経書の解釈の相違が政治権力集団の相違を直結するものであるので簡単に変えられなかったこととは対照的なものである。しかし呉美寧(2004)で考察した『論語諺解』の場合とは違って、『小學諺解』及び『御製小學諺解』においては、漢語を固有語で読んでいるのが一般的である。論語を含む<四書>の場合、当該語彙の翻訳が党争にまでつながる可能性を有するものであったとすれば、小学は実践的な内容であるという点からそのようなおそれが少なかったためであろう。あるいは具体的な語彙で表現されるほうがむしろ教育の効果を高めることができたからであろう。
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