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『라쇼몬』에 나타난 하인의 욕망으로서 대상a - 자크 라캉의 ‘욕망이론’을 중심으로 -「羅生門」に現われた下人の欲望として対象a

Other Titles
「羅生門」に現われた下人の欲望として対象a
Authors
윤상현권희주
Issue Date
2012
Publisher
한국일본언어문화학회
Keywords
欲望; 鏡像段階; 対象a; ジャック・ラカン; 自我主体
Citation
일본언어문화, no.22, pp.575 - 589
Journal Title
일본언어문화
Number
22
Start Page
575
End Page
589
URI
https://scholarworks.bwise.kr/gachon/handle/2020.sw.gachon/17141
DOI
10.17314/jjlc.2012..22.029
ISSN
1598-9585
Abstract
本稿はジャク・ラカンの<欲望理論>という観点から芥川龍之介の作品である「羅生門」(1915)に現われた下人の欲望を考察してみようとする。ラカンは人間を欲望する主体として見ており、欲望の主体は常に欲望が欠乏していて、絶えず欲望の対象を探している存在と主張している。しかし、このような欲望の対象はいつも隱喩と換喩で振り替えてしまい、欲望を引き延ばさせる‘objet petit a’、つまり、対象aによって再び欲望を探さねばならないと語っている。例えば、「羅生門」の主人公である下人は彼の無意識的な欲望構造が空間の移動に従って、具体化されている。まず、門の下の場合、下人はラカンの言う想像係にいると思われ、この時、下人は自分が見ることとの同一視、そして、対象の不在(凝視の不在)によって、自分の欲望が死と誤認してしまう。それに反して、門の上へ辿りついた下人は死骸と老婆との出会い、死骸ではなく老婆の行為を通して自分の無意識的な欲望を対象化させている。すなわち、下人は見える老婆という他者の認識の中で自分の欲望 - 生 - を満足するきっかけを得るのである。このように、門の上という象徴系が他者の領域であり、主体の欲望は他者を通すしか得られない欲望であろう。しかし、下人における欲望の獲得は、同時に老婆の言葉 - 泥棒(悪) - からずれも生じる。ということで、自分と対象aとの間に埋めることができない欠乏は、欲望の完成とともに、分離現象を起こさせている。結局、下人は老婆との出会いで自分という存在の基源認識と連続性を気づくことと同時に差異をよる老婆との同一視は失敗してしまう。従って、欲望する主体は常に欠乏を感じるしかなくて、ただ想像系と象徴系の間から發生する剰余快楽 - 対象aとして下人の場合、老婆の言葉(悪)を引いた生という差額 - は、再びその欠乏を満たすため欲動が発生、絶えず新しい対象aを探そうとする反復のみある。とすれば、作品「羅生門」に現われた空間的背景や登場人物もある意味で下人の欲望構造によって造り上げられた世界であると言ってもいいだろう。
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