구로사와 아키라(黑澤明)의 「내 청춘에 후회없다(わが青春に悔なし)」考 - 야기하라 유키에(八木原幸枝)의 ‘자아’를 중심으로 -
- Authors
- 이시준
- Issue Date
- Jun-2012
- Publisher
- 한국외국어대학교 일본연구소
- Keywords
- 黒沢明; わが青春に悔なし; 新女性; 自我; 戦後
- Citation
- 일본연구, no.52, pp.295 - 319
- Journal Title
- 일본연구
- Number
- 52
- Start Page
- 295
- End Page
- 319
- URI
- http://scholarworks.bwise.kr/ssu/handle/2018.sw.ssu/12768
- DOI
- 10.15733/jast.2012..52.295
- ISSN
- 1225-6277
- Abstract
- 黒沢監督は前後日本人の自我に対して深く考え、その作品「わが青春に悔なし」で、主人公幸枝を通じて‘自我'探求の大切さを力説した。まず、黒澤監督は保守的で現実志向的且つ安定的な生活を追い求める八木原奥さんを通じて,伝統的で固定的な女性とは距離のある戦後の近代的でエゴが強い幸枝の性格を明確に浮彫りにしている。一方、封切り当時、幸枝のヒステリックで奇怪な行動に対する観客たちの当惑こそ黒沢監督が都市的で,鋭敏であり, 自分の感情と'理想'に充実な新しい女性像を作り出した傍証と言えよう。次に幸枝の決断による自我完成に関してであるが、一番目は東京での独り立ちを決断する段階で「新しい生活」を希望するが、まだ、主体的にどのように生きていくかはまだ決っていない状態であった。二番の決断は野毛との結婚で、生きているという感じと幸せを得たが、野毛の行動に自分の生の意味,すなわち自我実現を半分無意識的に投映させている段階であったと言えよう。続けて三番目の決断は野毛の実家へいくことであって、彼女の農村行きは真実と正義を歪曲して「スパイ」だと駆り立てた村人たちと社会に対する'抗議'であった。野毛の信念を自分の「自我」に同一化した結果だと言える. 最後に'農村指導者'になろうとした決断は、自らが「一番生甲婓がある」事と確信した, 幸枝が勝ち取った「自由」であると同時に、自我実現の窮極的な到達点となった。
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Collections - College of Humanities > Department of Japanese Language & Literature > 1. Journal Articles
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