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The change of the statement surrounding the definition of Otaku ―from the formed statement to the change of image in the late 1990s as center―「オタク」の定義をめぐる言説の変化-言説の成立から90年代後半までのイメージ変化を中心に-

Authors
임찬수서경원
Issue Date
2011
Publisher
한국일어일문학회
Keywords
オタク、イメージ、中森明夫、宮崎勤事件、岡田斗司夫
Citation
일어일문학연구, v.77, no.2, pp 349 - 366
Pages
18
Journal Title
일어일문학연구
Volume
77
Number
2
Start Page
349
End Page
366
URI
https://scholarworks.bwise.kr/cau/handle/2019.sw.cau/33717
DOI
10.17003/jllak.2011.77.2.349
ISSN
1226-2552
Abstract
現在、「オタク」という言葉は、我々の生活の中に深く浸透していて、「健康オタク」「グルメオタク」「コスメオタク」といった、ある分野において平均値以上の知識や情熱を入れ込んでいる状態を表す言葉として受容されている。本稿では、一般的に1983年中森明夫により命名されたと言われる「オタク」という用語がどのような背景の中で誕生したのか、また、90年代後半までどのような過程を経て、イメージが変ってきたのかを、書籍や論文など客観的な資料にもとづいて検証した。その方法として、まず辞書に出ている「オタク」の定義から考察をはじめ、「オタク」を最初に命名したと言われる中森明夫のオタク論について考察する。それから、「オタク」に対するネガティブなイメージ形成の原因となった宮崎勤事件を分析し、そこで見られるマスコミの片寄った報道のあり方によって、「オタク」のイメージがどのように変化していくのかを追求した。最後に、「オタク」肯定論の登場と、肯定論の代表的な論者である岡田斗司夫の「オタク」論の特徴を、中森明夫の「オタク」論と比較・分析し、言説の変化過程を究明した。つまり「オタク」を自分の企画でコンテンツを作る専門家としての持ち主とし「粋の眼」「匠の眼」「通の眼」に分類した。岡田は、中森によって否定された性格を名人の素質として評価しており、こだわりという面においても創造のエネルギーとして捉えている。しかし、このような肯定論も2000年に入り、「オタク」に関する言説はより多様化し、肯定論の先頭走者とも言える岡田も「オタク」懐疑論へと立場を変えるようになる。このような面で、今後の「オタク」についての定義とイメージの変化に関心を持って、研究を続けたい。
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Lim, Chan Soo
대학원 (일어일문학과)
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