Detailed Information

Cited 0 time in webofscience Cited 0 time in scopus
Metadata Downloads

오가이(鴎外)의 『침묵의 탑』에 관한 연구 - 풍자적 묘사를 중심으로森鴎外の『沈黙の塔』論 - 風刺的描写を中心に

Authors
손순옥
Issue Date
Dec-2011
Publisher
세계문학비교학회
Keywords
沈黙の塔; 鴉; 鴎; 爆裂弾; 危険なる洋書; 二の舞; 침묵의 탑; 까마귀; 갈매기; 폭열탄; 위험한 양서; 두 가지 춤
Citation
세계문학비교연구, no.37, pp 75 - 98
Pages
24
Journal Title
세계문학비교연구
Number
37
Start Page
75
End Page
98
URI
https://scholarworks.bwise.kr/cau/handle/2019.sw.cau/46331
ISSN
1226-6175
Abstract
鴎外の短編 『沈黙の塔』は、1910年に起った大逆事件をモチーフにして、不当に言論を弾圧する日本政府を告発した作品である。その当時、言論弾圧の主役であった山縣有朋のブレインの一人であると共に、権力機構の中枢的位置に就いていた鴎外だけに、その事件とも深く関連されていた。詩歌雑誌『スバル』の同人であった平出修が、大逆事件の裁判にさいして、社会主義に関する知識の詳しかった鴎外に教授され弁護に立ったという話もあるし、大審院の特別法廷の傍聴席に姿を見せたという設もある程度だ。若き日、国費でドイツに留学し、進んだ西欧文明を身を以て接しながら多くの読書を通じて思考の幅を広げていた鴎外は、誰よりも日本の後進性や時代の本質的矛盾を知っていたはずである。それで、 山縣有朋と深い関係を保ちながら、弁護士の平出修に社会主義の資料を提供したり、大逆事件の顛末を聞かれたりする時は、たぶん苦しかったに違いない。 遂に、鴎外は官僚としてではなく、文学者として権力に怒り、筆を取ったが、軍医総監、陸軍慫医務局長という地位や、著述の発売禁止された状況から、率直な著作表現はできなくて、風刺技法を以て綴ったと思われる。大逆事件の情況をインドのMalabarHillの 「沈黙の塔」に死骸が運ばれることに仮託し、当時の庶民が受けている暗鬱な気持を「灰色」に表している。沈黙の塔の周りで「二の舞」を演じながら啼き騒いでいる鴉に託して弾圧する日本政府を揶揄し、きれぎれの啼声をしている鴎に無気力に抵抗する知識人を風刺していたと言える。特に「鷗」は作家鷗外の筆名とも関わりがあるようで、鷗外自らの姿まで客観化され、風刺されているのではないかと思われる。 また「危険なる洋書」という題名で「東京朝日新聞」に載っていた記事を、そのままその言葉で風刺し、「危険なる洋書も其口実に過ぎないのであった。」とか「新しい道を歩いて行く人の背後には必ず反動者の群がいて」隙を窺って迫害を加えると言っている。迫害する人を「反動者」と呼んでいるのは、弾圧する政府に対しての積極的な抵抗であり、批判であると思われる。鴎外自身の小説や翻訳書が「危険なる洋書」の目録に載っていたことに反発して書いたばかりの作品ではなく、時代状況に敏感な反応を示したものであると思う。この『沈黙の塔』は、反語と風刺を以て表したので、正面に向かって大逆事件や言論弾圧を批判した作品ではないかも知らない。しかし、全体主義であり絶対主義であった明治の日本が帝国主義を越え、パシズ厶に走っていた時代の状況や作家の社会的位置などを考え合わせてみると、これは大きな勇気で書かれた作品だったと評価されるべきである。
Files in This Item
There are no files associated with this item.
Appears in
Collections
ETC > 1. Journal Articles

qrcode

Items in ScholarWorks are protected by copyright, with all rights reserved, unless otherwise indicated.

Altmetrics

Total Views & Downloads

BROWSE