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カタカナの習および育にする意識 - 日本語習者と育者の比較を中心に -A Study of Consciousness of Learning or Teaching 'Katakana' - Focused on Comparison of Consciousness between Students and Teachers -

Authors
서윤순
Issue Date
2006
Publisher
한국일본언어문화학회
Keywords
カタカナ; 外來語; カタカナ語; 專攻者; 非專攻者; 敎育者
Citation
일본언어문화, no.8, pp 97 - 122
Pages
26
Journal Title
일본언어문화
Number
8
Start Page
97
End Page
122
URI
https://scholarworks.bwise.kr/cau/handle/2019.sw.cau/47038
ISSN
1598-9585
Abstract
本硏究では、韓國で日本語を學ぶ學習者と日本語を敎える敎育者を對象に調査を行い、その結果を元に學習者と敎育者の双方が日本語の學習過程において、あるいは敎育過程においてカタカナについてどのように感じ、考えているのかを考察する。 調査の內容で學習者と敎育者の意見が一致していたのが、ひらがなとカタカナの學習・敎育順序(「ひらがなの次にカタカナ」)と、カタカナについて學んだり敎えたりするときに學習者も敎育者も「難しい」と感じていて、書き方においては「ひらがなとの區別」、カタカナで表記するものとして「外來語」「外國の人名・地名」を双方があげている。 少し差が見られるのはカタカナに對するイメージで、「カタカナで表記するとことの良い点」と「惡い点」に關してで、學習者は「意味伝達が難しい」を、敎育者は「內容が輕く見える」を一番多く選擇していた。學習者と敎育者のカタカナに對するイメージの差が少し見られる部分である。 次に知らないカタカナ語への對応は、專攻者と敎育者が「辭書で調べる」のに對し、非專攻者は多くが「見過ごす」としていた。新しいカタカナ語を學ぶことへの意識は、ここでも專攻者と敎育者が並んで「學びたい」とし、專攻者は「授業時間に」、敎育者は「辭書などを通して」と答えていた。非專攻者にとってはあまり關心のない部分であったが、授業中に辭書の利用法の紹介やカタカナに關する說明・情報の提供を强化することによって、改善できる問題ではないかと思われる。 最後のカタカナ語の必要性に關する質問では、學習者も敎育者も「必要である」と認め、さらにその理由として「外來語表記に必要なので」が壓倒的に多かった。反對に、必要でない理由には、專攻者と非專攻者の兩方が「ひらがなと漢字だけで十分なので」が多かった。 以上のように、アンケート調査での質問を用いて日本語學習者と敎育者のカタカナに對する考えを分析・考察してきた。學習者および敎育者がカタカナやカタカナ語に對してどのように考えているのか、また學習者がどのような問題を抱えているのかを少しばかり明らかにできたと思われる。
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College of Humanities > School of Asian Languages and Cultures > 1. Journal Articles

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