네덜란드인의 에도여행과 ‘교토체재’ - 교토 지정숙소 에비야의 자료를 중심으로 -The Court Journey to the Shogun of Japan and Kyoto Stay - From Private Documents by Ebiya Hotel -
- Other Titles
- The Court Journey to the Shogun of Japan and Kyoto Stay - From Private Documents by Ebiya Hotel -
- Authors
- 정하미
- Issue Date
- Feb-2013
- Publisher
- 일본어문학회
- Keywords
- 에도참부여행; 데지마; 네덜란드어통역사; 네덜란드동인도회사; 상관장; 방광사; 江戸参府旅行、出島、オランダ通詞、オランダ東インド会社、商館長、方広寺
- Citation
- 일본어문학, no.60, pp 431 - 458
- Pages
- 28
- Indexed
- KCI
- Journal Title
- 일본어문학
- Number
- 60
- Start Page
- 431
- End Page
- 458
- URI
- https://scholarworks.bwise.kr/erica/handle/2021.sw.erica/30495
- DOI
- 10.21792/trijpn.2013..60.022
- ISSN
- 1226-9301
- Abstract
- 江戸参府のため長崎出島を出発したオランダ商館一行はまず陸路で小倉 まで行き、下関を通り大阪京都を経て江戸で将軍に謁見し貿易の継続の許可を得た。この過程や経緯を江戸参府旅行に随行するオランダ商館の医師らによって書かれ具体的な紀行記録でかいまみることができる。本稿はいままであまり知られていなかったそのほかの記録に注目する。途中で滞在した大阪や江戸の‘オランダ定宿’の記録である。江戸阿蘭陀宿長崎屋源右衛門、京同海老屋与右衛門、大坂同長崎屋五郎兵衛、下関同佐甲三郎右衛門、伊藤杢之丞ー、小倉同大坂屋善五郎、いわゆるオランダ定宿の記録のうち京都の滞在を中心に、彼らがどのように費用を負担し、手続をしたのか、職務はどのように決められたのか、意思疏通のためにはどのような努力をしたのかを近年活字化された京都海老屋の史料を中心として具体的に諸相を明らかにしようと試みた。また、一行の人的構成、とりわけオランダ通詞の役割についても検討した。さらに京都は往路と帰路、2度にわたって訪問することになるので、往路での出来事と帰路での出来事を区分して分析した。その過程で京都のみ観光、もしくは散策が最後の日に予定され、知恩院、祇園、方広寺、耳塚がそのコースになったことについて仮説を立てその意味について考えてみた。
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